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四日市萬古焼製陶工場の遠望 |
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四日市萬古焼製陶工場の遠望 |
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●萬古焼の始まり --古萬古 萬古焼は、江戸時代中期の元文年間( 1736 〜 40 )に、桑名で陶器専属の問屋を営んでいた豪商・沼波家[ぬなみけ]の沼波弄山[ぬなみろうざん]( 1718 〜 77 )が、茶趣味が嵩じて、朝日町小向[おぶけ]に萬古焼を開窯したのが始まりです。萬古焼という名は、沼波家の屋号の萬古屋から命名しました。「萬古」「萬古不易[ばんこふえき]」の名は、いつの世までも栄える優れたやきものという意味です。 弄山は、幼い頃から茶道に精進した茶人で、京風の色絵を中心とした抹茶趣味の優雅な作品をつくり出しました。これを古萬古と呼びます。その特徴は、異国風の斬新な文様や形。シノワズリを感じさせる赤絵の盛盞瓶(せいさんぴん)や、オランダ語やオランダの銅版画を文様としてあしらったもの、更紗文様(外国の染物の柄)など、ほかにはない異国趣味のやきものは、当時鎖国下にあった日本の知識人から人気を集めました。 |
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●萬古焼の再興 --有節萬古 天保 3 ( 1832 )年、弄山が亡くなってから 30 年あまり経った後、桑名にあった古物商、森有節[もり ゆうせつ]と弟の千秋[せんしゅう]が、萬古焼を再興するため、古萬古発祥の地である朝日町小向で窯を開きます(有節萬古)。森兄弟は造形的才能に秀でており研究熱心でもあったため、時代を先取りするような独自の新技法を生み出し、大変な人気を集めました。この頃は文人趣味による煎茶趣味が流行しつつあり、有節は煎茶急須づくりを研究して木型による急須を考案しました。またピンク色の腥臙脂釉(しょうえんじゆう)を発明し、復古大和絵の草花の絵を華麗な粉彩釉で描いたやきものは、大いに賞賛されました。 |
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●産業のやきものとして --四日市萬古〜現代 四日市市末永の大地主で村役であった山中忠左衛門( 1821 〜 78 )は、有節萬古の人気に注目し、四日市の地場産業として窯業を興したいと、嘉永 6 年( 1853 )に邸内に窯を築きます。これが四日市萬古の始まりです。忠左衛門は慈善家として知られ、萬古焼の開窯の理由も水害による地区困民の救済にありました。そのため、民に呼びかけ道具と陶土を与えて指導し、苦労して会得した陶法を一般に公開し、明治 6 年( 1873 )には量産体制を確立します。 その後、川村又助が海外輸出への足がかりをつくり、堀友直が海外向け製品の考案を行うなどの尽力により、国内外に販路を広げ、地場産業として定着していきます。そして明治 17 ( 1884 )年に四日市港が開港、明治 23 ( 1890 )年に関西鉄道が開通すると、販路は大きく広がりました。しかし、明治中頃になると、材料の白土が枯渇したため停滞したため、赤土を用いたろくろ引きの紫泥急須を開発し、その生産が主流となります。そして水谷寅次郎が、イギリスの硬質陶器を手本とした黄濁色陶器の大正焼(半磁器の一種)の開発に成功。その普及発展に伴い、機械ろくろ、石膏型鋳込みなどを用いて大量生産を行うと、生産高は急速に伸びました。その一方で、大正〜昭和の初年にかけて、個人で作陶する独立した陶芸家も現れます。 |
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大正焼により業界に活況が戻ると、高級な本格的硬質陶器の生産が開始され、四日市の窯業は爆発的に増産となり、四日市港の輸出額は格段にアップします。しかし、昭和初期に世界的な不況になったことで、輸出陶器の販売不振による乱売などで業界が混乱。そのため日本陶磁器工業組合連合会は、製品の生産と販売を統制することになります(統制陶器)。その後、戦前・戦中と次第に民間物資が足りなくなり、配給の石炭も途絶えると、金属代用品として鍋釜、ガスバーナーなどを陶磁器で生産しました(代用陶器)。 |
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戦後、輸出品は国際関係上の制約を受けて伸び悩んでいましたが、アメリカ向けの製品は少しずつ回復します。大正焼の系統の生活陶器がその中心で、そのほか安い玩具や置物、ノベルティ製品の生産も伸張していきました。しかし、昭和 60 ( 1985 )年に急激な円高となって以降は、土鍋、急須、皿鉢など国内市場向けへと変化しました。そんななか、昭和 54 ( 1979 )年に茶器を主とした「四日市萬古焼」が伝統工芸品に指定されます。こうして江戸時代から始まった萬古焼は、 270 年以上にわたってさまざまに変化しながら、現在も四日市の地場産業として生産を続けています。
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